r4/9/30 up
▶ 浄光寺新聞 
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4歳の頃
 
  寺の法務の傍ら「仏教子ども会」活動etc.
 浄光寺若院(寒香知龍)1982年生
 浄土真宗本願寺派 僧侶 龍谷大学中退
 得度:2000年・教師:2008年
 法務員:2010年
 浄土真宗本願寺派熊本教区 少年連盟元委員長
    令和4年『浄光寺カレンダー』
   今年は、たまに相談を受ける事への
   真宗的な考え方と返答について書いて
   みました。
   ご家族みなさんで、お読み下さい。
           釋 知龍
 
  令和4年 10月 浄光寺カレンダー
            
 病気の時に欲しいものは何でしょう?健康でしょうか?
 しかし それは即 手に入るものでもありません。
 適切な治療でしょうか? 大事ではありますが、治療は
 手段であって、それ自体が喜びなのではありません。
 病気で弱った時に 我々が本当に必要なものは、
 「労わり」です。「辛いね」「そばにいるからね」と
 想ってくれる人がいることは、何よりの安心を
 生むはずです。
 一人の時もずっと自分を案じてくださっている方が
 いることを思い出されてください。
 天涯孤独になろうとも、阿弥陀様の誓いは
 自分の周りから消えません。     
         文責「浄光寺」 釋 知龍 
 
 令和4年 9月 浄光寺カレンダー
       オバケ? 
 幽霊の有無は 非常によくある質問です。
 正直に言うと「いるかもしれないし、いないかもし
 れない」です。
 何かを見た感じたと思っても、それらが全てが真実と
 は限りません。 
 眺めただけではコップの中身が水かお湯か、
 真水か塩水かの区別もつかない大雑把な
 感覚しか持っていないのが我々です。 
 いずれにせよ、亡くなった方に不運の責任を
 負わせたり、悪いモノのように言うのは 避けたいと
 ころです。
 ちなみに お念仏を喜ぶ方は、あやふやなモノにはなり
 ません。絶対にお浄土が待っています。    
         文責 「浄光寺」 釋 知龍
 
 令和4年 8月 浄光寺カレンダー
 

   法事
 お参りの日取については、基本的にご命日の当日にされ
 ることをお勧めします。
 何故ならば、いずれ私もお浄土に
 還るという、我が都合によって動かすことが出来ない
 一大事を教えていただく日でもあるからです。
 前だから良い ということはありませんし、
 後だからダメ ということもありません。
 それを前提に、ご縁ある方が集まれる日を お寺にご相
 談ください。
 大切なのは、先にお浄土におられる方々が、我々の命の
 行く末を案じておられることに気付かせていただくこと
 です。      文責 「浄光寺」 釋 知龍 

 
 令和4年 7月 浄光寺カレンダー
    迷信
 迷信というと 古めかしい雰囲気がありますが、
 現代でも似たようなものは生まれます。
 玄米や発酵食品などに 過度な期待を負わせる健康法・
 よくわからない付加価値のついた水・
 行くだけで力が湧く場所などなど でしょうか。
 これらは 古来言われる日取りの良し悪し、
 方角、字画の吉凶と 変わりません。
 要は何となく 悪そうなモノを 遠ざけたいだけなのです。
 これらで 今ある命の有難さは 見つかりません。                          文責 「浄光寺」 釋 知龍
 
 令和4年 6月 浄光寺カレンダー
         お(はら)い  
 理不尽(りふじん)な不運が重なると、その理不尽
 超える力が欲しくなりませんか?しかしながら、
 そんなものはありません。
 そんな力があれば、起こる前に全て防ぐことが
 出来るはずだからです。
 先んじて防げないならば、次に起こる
 理不尽も 避けられるわけがありません。
 本当にハラウべきものは、関係のない点と点を結び
 線にしてしまう 私達の曇った眼です。
 曇っているという 自覚さえないならば、
 避けられるものも避けられません。
 常に曇った眼で見ていると 考えた方が賢明です。
         文責 「浄光寺」  釋 知龍
 
 令和4年 5月 浄光寺カレンダー
         人間関係
 お悩み相談の代表と言えば人間関係では
 ないでしょうか?
 相手あっての物なので、自分が変わるだけでは
 解決しないのが厄介です。ではどうするかと言いますと、
 まず 基本的にどうにもならんものだと知ることです。
 その上で、出来そうなことを探しましょう。
 どうにか出来るなら、そもそも最初から揉めていない
 のです。全て阿弥陀様に任せよ と仰るお念仏のみ教えは、
 悩みと向き合い考えるスタートラインをいただけます。               文責 「浄光寺」 釋 知龍
 
 令和4年 4月 浄光寺カレンダー
        称賛、名誉 
 人から褒められるのは うれしいものですよね。
 しかし、褒められたいから何かをする
 ということになると、おそらく辛い時間が 増えます。
 何故ならば、人は同じことをしても
 滅多に褒めませんので、褒められていない
 時間の方が明らかに多くなるからです。
 称賛は欲しがるものではなく、与えるだけに
 とどめた方が 幸せかもしれません。
 褒める時間はいくらでも増やせますから。                                  文責 「浄光寺」 釋 知龍
 
 令和4年 3月 浄光寺カレンダー
   親子
 深い愛情を指して 親のようにと言いますし、
 真宗でも阿弥陀様のご恩の深さを
 親の恩に例えたりしますが
 それは我々に わかりやすいように
 説かれているだけで実際の阿弥陀様のご恩は、
 親の恩以上に大きなものです。
 親とて 我が子を助けきれないこともあります。
 子とて 恩を受けた親を 支えられない状況もあるでしょう。
 そんな両者を共に、その命をありのまま受け止めて
 くださる方が阿弥陀様です。
                     文責 「浄光寺」 釋 知龍
 
令和4年 2月 浄光寺カレンダー 
   金銭面
  生きていれば財産について悩むことは多いですね。
  多くあっても心配が増えて、少なければ そのやりくりに
 頭を抱え、 どれ程あっても更に欲しい、 人と比べれば、
  他人より多く持っていたいと思います。
  しかし財産とは、つまるところ、私の命の保証が欲しい
 という所に尽きるのではないでしょうか。
  お金ももちろん大事ですが、人生の余裕を生むために悩みを
  増やしていませんか?
  誰かと一緒に手を合わせ、同じ方向を向くことで生まれる
 余裕もありますよ。
             文責  「浄光寺」 釈 知龍 
 
 令和4年 1月 浄光寺カレンダー
   真実
 私だけは本当のことを知っていると思った時、
 他人より 抜きんでた気がして、 ちょっと嬉しくなりませんか?
  しかし、それはおそらく気のせいです。
 我々が真実を知ったと思う時の大半は、 全てを知った時では
 なく、 「更に知ろうとするのを止めた時」です。
 実際は学べば学ぶほど、自分の知らなかった 知識と出会い、
 わからないことが増えていくものです。
本 当に必要な真実は、「多少の差はあれど、お互い 全知には
 程遠いただの人」だということです。
そ の前提に立つことで、初めて見えてくるものがあります。
               文責 「浄光寺」 釋 知龍